ミラノ雑感

言葉を使うということに向き合う場所。

ロックダウン再び

イタリアでは新型コロナウイルス感染者が急増し、今週から3月レベルに近いロックダウンが敷かれている。春と異なり、今回は、感染状況に応じて、州ごとに赤、橙、黄の3つのレベルに分けられ、それぞれレベルに合わせた制限が課されている。ロンバルディア州は、感染者数がダントツトップで、一番重症の赤レベルに指定されている。あらゆる点に関して予想通りで誰も驚かない。

春は不意を打たれて皆素直に聞き入れたロックダウンだが、今回は商店やレストランオーナーや従業員は黙っていない。彼らの大変さは容易に想像できる。ロックダウン初日には各地のデモに加えて、ミラノではいきなり銀行強盗も起こり、これから数か月どのようにイタリアは迷走するのか、目と耳を開いてよく見ていなくてはと思う。

2回目ともなると、さっさと田舎の家に移ったミラネーゼも多いようで、各家庭からの音も少なく、街中は静かになる。万年大気汚染でスモッグが掛かっているミラノに、太陽の光が差し、鳥の鳴き声が聞こえたりする。どこに向かうわけでもない宙ぶらりんの思いが漂う街中とは裏腹に、何となく幸せそうな光景がまた、シュールな感じがする。

今日は、アパートの住人と管理人との年次総会が開かれたけれど、会合が禁止されているため、中庭の駐車場に皆集まる。テラスからの参加もあり。向かいのアパートまで響き渡る大声で討論し合う。こういう風景も、本当なら写真に撮っておきたい。

高校生の子供たちは、家から授業を受けている。各自部屋に籠っているので、会うのは食事の時くらい。彼らは、彼らの部屋の中に、友達とのインターネットを通じた世界を築いている。イタリアでは、高校時代は勉強も大変だが、社交の幅が急に広がり、政治活動に参加したり、毎週末友達と夜遅くまで広場でおしゃべりに勤しんだり、休みになれば友達同士で計画して旅行したりする、正に花の青春時代。そういう時を過ごしてきたイタリア人の親はなんてかわいそうな子たちという人もいる。日本で勉強とクラブに染まった生活をしていた私にはなかなかかわいそうとまでは思えないけれど、確かに貴重な経験をする時期を逃しているのだろうと思う。ニュースを熱心に読み、空き時間に長らく離れていたピアノやギターを弾いてみたり、友達と夜中に同じ映画を見てチャットで意見交換をしてみたり、現状の中でできることを模索している。いつかまた、彼らが思い切りは弾けられる日が来るだろうか。それとも、世界はこのまま変わってしまうのだろうか。